小松屋縁起
「名字が『小松』だから「小松屋」さんなのですか?」と、よく尋ねられます。
今回は私どもの縁起についてお話させていただきます
大正の初期のころ、隅田川の下流域一帯は、少しまとまった雨が降ると河川が氾濫し、沿岸の住民はたいへん困ったようです。俗に隅田川の九十九曲がりといわれ、台風の時期などは曲がりくねった川筋のいたるところで水が出たのだそうです。
そのようなことがたびたび重なるので、岩淵(東京・北区)のあたりから一直線に東京湾へ流す荒川放水路が計画され、そのため現在の江戸川区西小松川一帯は水没することになったのです。やがて工事は進み、橋も架けられ、付近の農家は一応全面補償ということで廃業のやむなきにいたりました。
初代小松屋もそうした農家の一軒で、堀に湧いた魚を釣りに来る人達に、*田舟を貸す商売を始め、そもそもそれが舟宿の発端なのです。
何年か後に、二代目小松屋が、両国橋のすぐ近くの堅川(墨田区)は一ノ橋というところで、網舟を一艘持って商売を始めたのです。これは大正十五年の頃のことです。
そのうちに引越の話が持ち上がり、いろいろ探したところ家賃が高いが柳橋が良いということになったようです。ところが敷金が百円というのでびっくり。なにしろ、そのころの大卒の初任給が数十円という時代の話です。
そこでごひいきのお客様に相談したところ敷金を立て替えて頂く代わりにお客様が舟を出されるときは、その分のお金を船賃にあてて返すとのことで、柳橋に移ることができました。
そして釣り船、屋根舟、網舟、涼み舟、汐干舟と看板を掲げることができたのが昭和二年のことです。
ちょうどそのころ、柳橋は木製から鉄製の橋に架け替えられましたが、その新しい橋のたもとに木造二階建ての小さな舟宿として開店したのが、現在の『小松屋』の第一歩です。
小松屋という屋号は、もともと先祖の出生地のあった小松川の「小松」をとったもので、以来この柳橋のたもとで商売をさせていただくこととなり、今日に至った次第です。
*田舟:農具や牛馬、または収穫物を運ぶための農業用の舟。
2003/2/1