落語の起源
今年は伝統芸能の大看板を襲名で大変な話題になっています。歌舞伎は「勘三郎」さん、そして落語は「正蔵」さん。平成の大看板ということでしょうか。
そういうこともあってでしょうか、落語がちょっとしたブームだそうです。
ところで、江戸の庶民に親しまれた落語はどうやって生まれたのでしょうか。
天明年間、太平の世の中で人々が遊惰に流れ、遊びにも飽きて…というとき。
当時の隅田川には舟宿が600件もあり、その舟で柳橋の方まで出て、とれた魚を肴にお酒を楽しむ。芸者さんの三味線にあわせて唄ったり、飲んだり…さぞ楽しかったでしょう。
夏の夜の川の上は、ホントに涼しいもので、それから山谷堀(さんやぼり)へ行って吉原へくり込むといったコースが遊びの定番になっていたのです。
そのころ俳句や川柳が流行って、方々へ集まって会をやっていたのですが、そんな中である人がこんな噺(はなし)があるというので披露しあっているうちに、どこかで人を集めて披露しよう!ということになりました。
そこで向島に「武蔵屋権三」という貸席があったそうで、人集めにビラをまいたのには「向島に昔噺ごんざります」とだけ書いてあった、とか。
ところが、そのナゾを解いた人があって、「昔という字は廿一日と書くから、二十一日じゃねえか?」「向島にごんざりますてえのは、『武蔵屋権三』だろう」
でもそれだけで人が集まるのか?とも思いますが、これぐらい洒落(シャレ)がわかるヒトでなければ、噺を聞く資格がないということなのでしょう。かの時代の人々はなかなかイキなところがあったようですなァ。
こんなビラをまいたにもかかわらず、これがかえって人気を呼んで大流行(おおはやり)。
そうした中にいわゆる落語のプロフェッショナルが誕生します。その最初ではないかといわれている人が三笑亭可楽(さんしょうていからく)その人の弟子の中に、林家正蔵という人がいたそうです。
すなわち、現正蔵さんの初代に当たる人のようです。
大川の屋形舟はこうした粋人を乗せて、歴史を紡いでいた、という落語誕生の一席。現代の粋人の皆様にもこんなオツなお噺とともに舟をお楽しみいただければと。それではお後がよろしいようで。
参考文献 古今亭志ん生「なめくじ艦隊」 ちくま文庫
2005年5月31日