今そこにある危機
この7月、洞爺湖サミットが行われましたが、環境問題が中心でした。失われつつある自然環境にどの国や地域も危機感を感じているようです。
ところで最近、日本橋の上を通る高速道路を地下に潜らせようとか、暗渠になっている渋谷川のフタを取ろうか…という話が持ち上がっているようです。
でも、しみじみ考えるとちょっとムダなような?
だって最初から、そうしてれば良かったんじゃないか…って。
もし長期的な視野で考えていたら…最初から日本橋や渋谷川のある風景が今とはちょっと違ったものであったかも知れません。
長い目でものを考えないがために、失われている景色や事物が多いことを残念に思います。
それに税金や補助金で作られたものは、日本中どこも似通っていて何だか同じような景色に見えて仕方ありません。
同じ風景を観にわざわざ出かける必要はないですよね。日常と違うものを求めて人は旅行に出かけるものだと思います。
だからといって… 実は、隅田川や神田川をベネチアのようにしようという計画もあったようです。
でも、海外旅行に多くの人が出かける昨今の日本で、にわか造りのベネチアに日本人の「なんちゃってカンツォーネ」じゃ、全然ダメだと思いません?
そのときだけ盛り上がればいいとか、手っ取り早いお金儲けを求める風潮にも疑問を感じます。
地域活性、村おこし・町おこしの名目で作れられたものが、その後成功したという話は、あまり聞かないですよね。
ここにしかないもの、ここでしかできないもの、そして私たち日本人にしかないもの、それぞれを大切にしていくことは、私たちにもできるはずです。
「変えてはいけないものと、変えなくてはならないもの」って言いますよね。それを判断するのは難しいことですけれど、少なくともこれだけは言えると思います。
その土地、その場所にうまれ、育ったものは、他には無い魅力を持っている。
私どもが屋形船を生業としていて、休業の時期があったにせよ永年つづけて来れたのは、やはり大川(隅田川)の歴史があったからだと思うのです。
屋形船の歴史のないところに、船を持ってきただけでは「隅田川の花火大会」も無かったでしょう。
江戸幕府開府してからの、長い歴史が物語っていると思うのです。
神田上水として江戸の人々に水を供給し、日本全国から船で運ばれる米・物品を集め、なおかつ、江戸城の石垣がいまだ残っている神田川や大川(隅田川)。「玉屋、鍵屋」の呼びかけ声も勇ましい両国の川開き、徳川吉宗によって植えられた墨堤の桜等など。
多くの歴史小説や時代小説を読めば、江戸時代の長い間のそれぞれの時期に、どんなに親しまれ、利用されていたか、よく分かります。
ここで屋形船を楽しまれるお客様は、大川(隅田川)や神田川の「ここにしか無い」何かを楽しみたいと来ていただいているのだと思います。少なからずその伝統も魅力に感じていられるのではないでしょうか。
故に「ここにしかない」趣き深い風景が失われていくことは残念でなりません。
再開発の呼び声高く、すべてを壊してから、新たに造りだすのではなく、在るものを残しつつより良くしていくのが、本来のその土地に基づく文化歴史などを大事に育てていくことでしょうし、それがまたひとつの歴史を作っていくものだと思うのですが、どうでしょう?
なくすのはカンタン、あとで「復活させよう」より、 無くしてしまう前に、無くならない努力や工夫が必要なのでは…!?と感じる昨今です。
一度でも、大川(隅田川)、神田川を歩いてみてください。
川風を受けながら…
よろしかったらこちらもご覧ください【屋形舟今昔】「甦る問屋街(よみがえるとんやがい)」
2008年7月24日