屋形船に乗って東京マラソンを応援しよう(1)
-東京マラソン2009後記-
小松屋も加盟している「屋形船東京都協同組合」では、加盟船宿あげての応援を行いました。
東京には、河川、水路が意外と多いことにお気づきでしょうか?
遠く江戸幕府開府時代から、町々の隅々まで掘割が行き渡り、大小それぞれの船での流通が盛んでした。鉄道、自動車により流通の形が変わってきても、川は流れていました。
昭和30年代後半、40年代の高度経済成長時代に次々と小さい川や掘割が埋め立てされて、道路や高速道路が造られていきました。それでも、昔の名残をとどめるように、川は、四季それぞれの顔を見せながら、脈々と流れているのです。東京の地図を見れば、川の多さに驚かれるでしょう。
「屋形船東京都協同組合」では、東京で大震災があった時に、屋形船による様々な支援活動を行えるように、かねてから訓練等に参加してきました。
災害時に通常の陸上交通が寸断されても、東京にはたくさんの水路があり、数多くの屋形船で、水上搬送を行えるからです。
昨年初めて、東京マラソンの応援者を、浅草橋からゴール地点近くのお台場パレットタウンまで屋形船で無料で乗船していただきました。迅速に支援活動が行えるように訓練も兼ねてです。
隅田川下流の相生橋付近では、荒れる天候の中、屋形船5隻で何人もが幟を大きく振ってマラソンランナーへの応援を繰り広げました。
それぞれの地域で乗船案内チラシを配ったり、沿道で応援しながら記録写真を撮ったり、屋形船に乗客を乗せて何度も往復したり、慣れない桟橋での離着岸に心を配ったり等々、赤いジャンパーもお揃いの組合員総出の行事となりました。
乗船案内等の手伝いをしての長い一日、一年遅れのマラソン観覧記を書いてみました。今年の東京マラソンが始まってしまう前に。
昨年の東京マラソン2009
平成21年3月22日(日)東京マラソン2009
午前8時30分 浅草橋集合
厚い雲に覆われかなり寒く、雨に降られないことを願うばかり。乗船場と書いた看板を浅草橋に設置し、皆それぞれに小さな乗船案内を手に持ち、道行く人々に配るため用意怠りなし。しかしながら、写真のとおり人影はまだ無く、交通規制に入る前とはいえ、走る車が極端に少ないため、4車線の道路も橋も広く大きく見えることに驚きました。
ロード(沿道)整理のボランティアの方々が集まり始め、午前9時5分には、車いすマラソンスタート、午前9時10分にはマラソンスタートと情報が伝わってきました。
未だに人の数は少なく、手にした乗船案内がすべて無くなるのか少々心配になってきました。
それでもJR浅草橋駅、浅草橋と別れて手渡しているうち、パトカーの先導車に引き続き、車いすランナーが走ってきました。
2009年2月4日