篠塚稲荷神社
鮮やかな朱色と白い壁、黒の瓦と扉などのコントラストが引き立つ篠塚稲荷です。
子供のころ、篠塚さんのお祭りが楽しみでワクワクしながら待っていたものです。
なぜでしょう?
正解は、子供が引っ張って練り歩く山車(だし)です。いえ、正確には山車を曳いてあちらこちらでいただくおもちゃや、お菓子がうれしかったのです。
柳橋の真ん中にあるお稲荷さんですから、普段なかなか入れない料亭さんの庭先まで入ってのおふるまいには、子供にもうれしくて心躍るものがありました。手入れの行き届いた庭の木々でさえ、珍しく眺めたものです。
もちろん、大きな袋持参です。
午前中から昼までで、もういっぱいになり、一休みして午後からまた張り切って練り歩いた思い出があります。
たぶん、自慢したのでしょう。
小学校の友達数人と山車を曳いた事があります。夜、友達のお母さんから電話が。「あんなに豪華で沢山のものを頂いてよろしかったんでしょうか?」大人も驚くほどのおふるまいだったんですね。
今年のお祭りはすでに終わりましたが、たくさんの子供たちが山車を曳いていました。
2004年6月26日
紫陽花もそろそろ
小松屋の軒先に彩りをそえてくれていた美しい紫陽花。そろそろ見頃も終わりのようです。
六月、梅雨、うっとうしい時季の中。鮮やかな青・紫・白・ピンクで私たちの眼を楽しませてくれました。
東京は、今日の午後から台風6号の
影響で、風雨が強くなるとの予報です。紫陽花も雨風に打たれて少しづつ色褪せていくのでしょう。
「紫陽花の末一色となりにけり」
小林一茶
今、この「つれづれ」を書いている内にも今日はじめての雨が降り出しました。台風対策はすんでいるとはいえやはり、気になります。
紫陽花も風に負けて折れたりしなければいいのですが・・・
「うるはしき 色は匂へど 何となく さびしく見ゆる あちさゐの花」
明治天皇
時は隔てても、花に寄せる人の気持ちはかわることなくこれからも続いていくのでしょうね。
来年もまた楽しませてくれることを祈っています。
2004年6月21日
小さなお稲荷さん
中央区から柳橋を渡って右にしばらく進み、総武線のガードの手前右に小さなお社があります。
火伏神 石塚稲荷神社です。
火伏神とは、火事にならないように防火を願う神様ということです。
とは言うものの、よく前を通るのですが、今回はじめて火伏神とついていることに気がつきました。
鳥居の左側には、柳橋料亭組合の文字が大きく彫られ、料亭さんの名前が赤で何軒も書かれています。右側は、柳橋芸妓組合と彫られ、芸妓屋(置屋)さんの名前が書かれています。
昭和40年代後半から50年代にかけて、次々とオフィスビルに建て替わり、柳橋の雰囲気が一変していきます。
夏はカキ氷、冬にはお好み焼きを食べさせてくれる通いなれたお店も店じまいし、熱い湯で有名だった六角湯もなくなりました。
料亭さんが少なくなるにつれて、柳橋界隈で聞こえていた芸者さんの長唄、小唄の声も、三味線の音も消えていきました。
戦前、戦後を通して賑やかだった柳橋も変わっていったのです。
時代の変遷を、今日もひっそりと小さなお稲荷さんは見つめているのでしょうね。
2004年6月14日
神田川に亀出現
数日前に、亀がぷかりぷかりと浮かんでいましたが、今回はすっかり干上がった護岸でのんびりと、まるでひなたぼっこしているような亀を見つけました。
約30cmほどの大きな亀です。
「鶴は千年、亀は万年」と長寿を称えて言われる亀ですが、漁をする者の昔からの言い伝えで、亀によく来てくれたねと感謝の気持ち、長生きにあやかりたいとの気持ちをこめて、日本酒を飲ませてから、また川に放したものです。
実は、もうかなり前になりますが、もっと大きな亀が来たのでお酒を飲ませたら、どうもいつもと様子が違い、右に左にとふらふら歩くのです。
どうやら、アルコールに弱いらしく、明らかに酔っているようで・・・
それ以来、お酒をあげることは止めました。酔うとかわいそうですものね。
潮が満ちてきて、いつのまにかこの写真の亀もどこかに行ってしまいました。
2004年6月9日
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